認知症高齢者の住む「意味の世界」

Series: 地域包括ケアの課題と未来 (24)

大井玄
東京大学名誉教授


「意味の世界」という言葉は、恐らく初めて耳にされるでしょう。最初にその意味を説明いたしましょう。

私たちは、世界は見るもの、聞くもの、触るものからできていると思っています。しかしそれは、脳科学の見出したところによると、私たちの思い込みであって、私たち、いやすべての脳は、世界をその経験と記憶から、一刹那、一刹那に、作り上げているのです。

したがって環境から同じ刺激ないしは情報を受け取っても、脳によって受け取る「意味」はその記憶と経験によって全く違ってきます。同じものを見ても聞いても、あなたと私が受け取る意味は違います。恐らく、それを最も鮮やかに示したのは、大乗仏教の唯識派の僧侶たちでしょう。

手を打てば 鯉は餌と聞き 鳥は逃げ 女中は茶と聞く 猿沢の池

どうです。それぞれの脳は、その記憶と経験に基づいて、同じ音刺激から全く違う意味をくみ取っています。

つまり「意味の世界」は、その人が認知症であろうと認知症でなかろうと、それぞれの脳が紡がざるを得ない世界です。しかし意味の世界がどんな性質を備えているかは、認知症高齢者の場合、そこに介護の人が入ってあげる必要があるので、特にそれをわきまえる必要があります。

以下認知症の半数以上を占めるアルツハイマー型認知症を例にとります。

「意味の世界」では安心できる

認知症高齢者の多くは自分がいつ、どこに、何のためにいるのかが分からなくなります。つまり自分と自分がいる環境の意味と関係が分からなくなります(見当識を失う)。それが典型的に観察できるのが「夕暮れ症候群」です。

夕暮れになると認知症のお母さんが自分の家に帰ると言い出す。そこに50年もいて彼女の家なのだと言い聞かせても、決して納得しません。つまり彼女は、幼い時の自分に戻っていて、自分の育った懐かしい両親の家に戻ろうとしている。こういう時熟練した介護人なら、彼女の意味の世界に入ってあげ、一緒に外を歩き、「もう暗くなってきたから、今日はひとまず戻りましょう」などと上手に対応します。

「意味の世界」では誇りが保たれる

有名な「もの盗られ妄想」は、自分が忘れて見えなくなった財布を嫁が盗ったと言い張ってきかないものですが、この際顕著なことは、認知症高齢者は決して自分が間違ったと思わないことです。自分は常に正しく、何か不都合があればそれは常に他の人が行ったことなのです。

「妄想」とは矯正不能な間違った考えと定義されますが、もの盗られ妄想はむしろ記憶の極端な低下と、自分の誇りを保つ衝動の結び付いた現象であるようにも見えます。

自分の誇りを保ちたいという心理的力動は、自分がいつ、どこに、何のためにいるのかという見当が失われることから生じる、極度の不安にその源があるように見えます。誇りを持つことが、その不安を打ち消すよう作用しているのをうかがわせます。

その1例が、石井が「仮想現実症候群」と名付けた認知症高齢者の有様です[1]。

彼らの意識は明晰ですが、自分が置かれた環境認識は私たちが認識するものと全く違います。石井の挙げた例の1つは80代の女性で、かつては北九州で料亭を経営し成功させたのでした。しかし彼女は病棟の制服姿の看護師たちを料亭の仲居だと思っていて、ある看護師には「あなた、日本間を掃除しておいてちょうだい」と命令し、他の看護師には「コーヒー5人前すぐに持って来て」と言いつける。彼女は一段と格上の女将です。

筆者の経験例では、ある認知症女性が、同じ病棟の男性を自分の弟だと思っていて「シューちゃん」と呼んでいた。男性はもちろんそんなことは知らない。ある時筆者が彼女の話を聞いていると「シューちゃん」が側を通りかかった。「ほらシューちゃんが来た。声をかけてあげなさい」とけしかけたので、彼女が呼びかけた。男性は自分だとは思わないで通り過ぎて行った。すると、「あの子はね、小さい時に高い塀から落ちて頭を打ってからああなのよ」と、のたもうたのです。

ここでも悪いのは相手であって、自分は正しいというストーリーが保たれています。

「意味の世界」に入ってあげる必要

このように自分の紡ぐ「意味の世界」で認知症高齢者が落ち着くのだとすれば、私たちはその「世界」に入り、そこの一員として振る舞う必要があります。それが彼らに、我々とのつながりを感じさせ、安心させる方法だからです。

その世界では彼らの誇りが保たれなければなりません。そのために効果的な手段には、敬語を使いゆっくり話すこと、逆らわないこと、笑顔であること、適切に触ることがあります。これらはいずれも脳科学的にも実践上にも裏付けがあります。

日本の共同体社会のレベルでは、沖縄県佐敷村での精神医学的調査があります[2]。まず、沖縄の言葉には非常に発達した敬語の体系があります。例えば、そこにあるものを目下の者になら、ただ「トレ」と言う。自分と同等か少し年上なら「トミソーレ」、ずっと年上なら「トテクミソーレ」と言います。さらに沖縄では、時間がゆっくりと流れています。高齢者がゆったりと不安なく暮らせる文化がありました。そこでの高齢者の認知症有病率は東京での在宅高齢者認知症有病率と変わらないのに、周辺症状が見当たらないのでした。東京では当時半数に周辺症状が、夜間せん妄だけでも2割に起こっていました。

まとめ

同じ環境にいても私たちの脳は、それぞれ別な「意味の世界」を紡いでいる。

「意味の世界」では、誇りが保たれ、不安が少なくなるところに特質がある。

認知症高齢者は自分の置かれた環境の見当が失われており、それは「仮想現実症候群」として周囲に気づかれることもある。

認知症高齢者の「意味の世界」が壊れない配慮を行うことが、認知症高齢者が社会的に適応するための基本条件であり、そのいくつかの技法を挙げた。

文献
1. 石井毅: 仮想現実症候群. 老年精神医学雑誌, 14, 347-354, 2003.
2. 真喜屋浩: 沖縄の一農村における老人の精神疾患に関する疫学的研究. 慶応医学, 55, 503-512, 1978.


大井玄: 認知症高齢者の住む「意味の世界」. Socinnov, 2, e10, 2016.
© 医療法人鉄蕉会, 社会福祉法人太陽会, Socinnov.

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